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転職サイトPROSEEK > 転職コラム > 仕事のモチベーション > vol.14 小方功氏 (株式会社ラクーン)
プロフィール

1963年札幌生まれ。88年大学卒業後、大手建設コンサルタント会社に入社。技術者として政府・自治体関連のプロジェクトに参画する。92年独立準備のために会社を辞め、1年間中国に留学。現地で中国人実業家と出会い、その人生観とビジネス哲学を学ぶ。93年帰国。家賃3万円のアパートでラクーン創業。倒産の危機を何度か切り抜け、在庫品取引市場の創設を思いつく。98年「オンライン激安問屋」を立ち上げ、翌年F/S(実行可能性テスト)としての単月黒字化を達成。2002年には新製品を取り扱う「スーパーデリバリー」をスタート、現在の主力事業に育てた。著書に『華僑 大資産家の成功法則』がある。
<会社概要>
新製品・メーカー正規品を取り扱う「スーパーデリバリー」と在庫品を取り扱う「オンライン激安問屋」、2つのウェブサイトを通じて、アパレルや雑貨、家電製品などの企業間取引を行っている。
オンライン激安問屋」2万9000店以上の小売店が、毎日約100種類追加される商品の販売・仕入れに活用している。
スーパーデリバリー」アパレル・雑貨メーカー300社以上が、3万点以上の新製品を卸価格で販売している。中小小売店にとっては、24時間・格安の仕入れができるなどのメリットがある。

―――小方社長は29歳で会社を辞め、独立準備のために中国に留学しました。アメリカにMBA(経営学修士)留学する人はよく聞きますが、なぜ中国留学だったのでしょう?
小方:私は、起業する上で「創造力」が重要な要素だと考えていました。アメリカに留学しても、本や映画でたくさん紹介されていますから、現地の生活はおよそ予想の範囲内でしょう。しかし中国はナゾだらけの国でした。ちょうど烏龍茶がコーラの売上を上回った時期でもあり(笑)、中国にはまだ知られていない、大きな可能性が残されていると思いました。MBA留学しなかったのは、MBAが経営者になるための勉強ではなくて、どちらかというと組織の中で経営者をサポートするためのものではないか、と感じたからです。経営がマニュアル化する危険性を感じたのです。
―――どうして独立したのですか?
小方:私が会社を辞めたのは、独立を「脱サラ」と呼んでいた時代です。起業が今ほど一般的ではなく、私自身、独立するイメージがまったくつかめませんでした。恐怖でしたよ。シートの下は崖(がけ)かもしれないのに、とりあえずそれに乗るぐらいの。でも人として生まれてきた以上、どれだけ自分に可能性が残されているか試したかったんです。私が常に憧れているのは、大きな可能性を持った人物です。独立することだけがその答えではありませんが、私の勤めていた会社が年功序列だったこともあって、自分の20年後の姿が簡単にみれるサラリーマンに限界を感じました。
―――中国留学から帰国して貿易業を始めましたが、以前からそういう事業をやりたかったのですか?
小方:最初に手掛ける事業は、正直、何でもよかったんです。ただ、やるなら1つの“産業”を打ち立てるぐらいの志がありましたから、ビジネスモデルは10年ぐらいかけてじっくり組み立てる覚悟をしました。事業を続けていれば、いつかチャンスは巡ってくるはず。しかし、チャンスに遭遇したときに、自分にそのチャンスをつかむ“握力”がなければ悔しい思いをします。最初に始めた事業は「基礎体力」作りと位置付けました。
――― 1人で事業をスタートしたことで、苦労しませんでしたか?
小方:孤独ではありましたが、楽しかったですよ。「苦労」とは不本意なアクシデントに遭遇したことをいいますが、起業は自分が好きで選んだ道。確かに電話が全く鳴らないときは、「辛いなあ」と思いました。でも、いつか自分が書く本の中で、読者に面白がってもらうエピソードの1つだと、勝手に信じ込んでいました(笑)。
――― その後は順調でしたか?
小方:経営を揺るがすピンチが何度もありましたよ。大手通販会社から引き合いがあって、在庫を大量に仕入れました。ところが、担当者の連絡モレによって、すべて不良在庫になったことがあります。金額にして約1000万円。返済が差し迫っていました。黙っていても“あぶら汗”が出てくるし、夜はまったく眠れません。こんな状態が続くと人間は、現実逃避するようになります。ついに私は倒産を決意し、取引先に倒産の挨拶に行きました。すると「どうして諦めるんだ」と怒られ、取引先数社が在庫をすべて買い取ってくれたんです。このときは本当に救われました。
――― 「災い転じて福と成す」でしょうか、この経験から在庫取引市場「オンライン激安問屋」のヒントを得ています。しかし、このビジネスの立ち上げには、かなり苦労されたとか。
小方:はじめは10万円の取引に10万円のコストが掛かっていました。それでも私はこのビジネスに、大きな可能性を感じていました。資金もありませんでしたが、本屋でHTMLやCGIの本などを立ち読みして、ホームページは全部自力で作りました。こんな生活を1年半続けているうちに、少しずつ売り上げが伸びてきたのです。
――― 多くのピンチを切り抜けた小方社長ですから、サラリーマンにとっての危機である「左遷」や「不本意な人事異動」に遭遇したとき、いかに対処すべきかアドバイスして頂けませんか?
小方:翌日、辞表を出すのも1つだと思います(笑)。でも、それが自分にとっての本当のピンチかは、後になってみなければ分からないと思うんです。誰にも必ずあなたを応援してくれるキーパーソンがいます。私もそういう人に何度も助けられてきましたが、そのキーパーソンはそんな状況にいるあなたを、必ずどこかで見ています。いや、むしろそういうときこそ、あなたの真価が問われる瞬間だと思うべきです。そこであなたがダメになるか、再起するかによって、あなたに対する見方が変わるでしょう。転職してもいいと思いますが、長期的な視点で考えてください。「不本意な人事異動が嫌で脱サラや転職しました」なんて、人に言えないじゃないですか。
――― 最後に読者にメッセージをお願いします。
小方:何点か言いたいことがあります。まず、一般的な生き方をしたくないのであれば、一般的な意見には流されないようにすること。特に起業家は、世界中の人が「黒」だと言っても、自分が心から「白」だと信じるなら、ただ1人「白」と言い続けて死んでいくような生き物だと思うんです。

もう1つ、スタート時点ではカッコにこだわらないこと。どんな会社でも最初小さい会社です。そして、小さい会社はいきなりカッコよくはありません。私も最初は家賃3万円のアパートを事務所に、1人で会社を始めました。最初はカッコ悪くても、最後にカッコよくなればいいんです。

最後に、世の中で必要とされているものは、なくなるのではなく“移動する”ということをアドバイスさせてください。カタログ通販が落ち込んでもインターネットモールが急成長したり、生保業界が低迷しても外資系生命保険会社が大躍進しています。つまり、低迷していると思われている業界でも、ちゃんと新しい商品やサービスを開発すれば、いくらでもチャンスはあるということです。あなたが起業していようと組織の中の人であってもこれは同じこと。私の業種は問屋業です。問屋は斜陽産業だと思われていますが、資金も人も集まってくれていますよ。
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