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転職サイトPROSEEK > 転職コラム > 仕事のモチベーション > vol.03 菊川暁氏 (株式会社ガーラ)
プロフィール

きくがわ・さとる 1965年東京生まれ。小学校高学年をロンドンで過ごす。慶応義塾高校を経て、84年慶応義塾大学経済学部に入学。学生団体のリーダーとして、都内で1万人を動員するイベントを主催。88年同大学卒業、同年博報堂へ入社。大手石油元売会社のマーケティング戦略に携わる。91年より「未来学研究会」を主催。93年9月株式会社ガーラ設立、代表取締役社長に就任。95年ソフトバンクへ出向。2000年8月同社はナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)に株式上場。共著に『オンライン・コミュニティがビジネスを変える―コラボレーティブ・マーケティングへの転換』(NTT出版)がある。
株式会社ガーラ 「オンライン・コミュニティ」のインフラ提供、企画・運営サポートやネット掲示板のフィルタリングシステム「サイバーコップス」の提供などを通じて、企業と消費者が共存共栄する“コラボレーティブ・マーケティング”を提唱。世界的にも類を見ない斬新なサービスを開発・提供している。
オンライン・コミュニティで世界的に先駆的な取り組みをしてきたガーラのノウハウを結集した書籍
国内最大級の無料オンライン・コミュニティサイト。『Gala Friend」同サイトの運営から多くのノウハウを吸収

――なぜ起業なさったのですか?
菊川:デジタルネットワーク社会の到来が、100年に1度のチャンスだと確信したからです。会社の人に「デジタルネットワーク社会が来る」といっても理解してもらえなかったし、会社にいるといろんな制約がある。自分のチャンスを失うことが“最大のリスク”だと考えたのです。
――独立のきっかけを教えてください。
菊川:最初に、故・尾崎豊さんのプロモーションを受託しました。きっかけは知人の紹介です。私は学生時代、イベント企画などをしていたので、知人は多い方ですが、やはり知人の母数が多いほどチャンスは巡ってきますね。起業して以来、偶然の人の縁がビジネスに結びつくことが多かったような気がします。設立間もないベンチャーには、逆にそれしかないのかもしれません。会社を辞めると家族を説得するのに「私には十分能力があると思うし、なにより多くの友人がいる。それ以上、仕事をするのに何が必要なんだ」と言ったのを覚えています(笑)。
――独立後ソフトバンクに“出向”したのはなぜですか?
菊川:「デジタルネットワーク社会」に関連した仕事をしたかったのですが、実は人脈も知識もなかったんです(笑)。そのとき私は写真集を出版する企画を進めていましたが、販売ルートが見つからず困っていました。たまたまソフトバンクに電話したところ、向こうもCD−ROMを出そうと思っていたが、作り方も売り方もノウハウもなく悩んでいたのです。そこで出会った慶応の先輩から「一緒にやろう」と誘われたのです。情報産業の知識や経験を得るために、1度そういう会社に籍を置くのもプラスと判断しました。会社に従業員を残し半年間の出向でしたが、当時の私を知る人は「菊川さんは、ノートに一字一句メモしていた」と言いますね。
――独立当初は「会社案内は自分の経歴書」だったそうですね。
菊川:ソフトバンクとCD−ROM制作の契約をするときに「CD−ROMを作った実績がないようですが、本当に作れるんですか?」と聞かれました。そこで私は「パソコンのことは正直分かりません。しかし私には“学習能力”があります。他人ができることなら自分にも実現可能です」と主張しました。私は学生時代にはイベントを企画し、広告代理店や尾崎豊氏のプロモーションなど異なる分野の仕事を経験してきた。当時は会社パンフレットなどなく、私が新しいことを吸収してきた経歴を会社の「売り」にしていました。
――プロレス団体のホームページを無料で作成したそうですね。
菊川:その代わり広告収入は当社がいただく約束でしたが、とにかく実績がほしかったのです。それまでホームページを作ったことがなかったのですが、それでは誰も依頼して来るわけがない。それならばまず実績を作りノウハウを蓄積しよう、と。まずは自分のリスクで動くのが、大切ではないでしょうか。いくら市場調査にお金と時間をかけても、成果が上がらないというのはよくある話です。
――なぜ広告代理店に就職したのでしょうか?
菊川:将来、自分で会社を作りたいと思っていたので、マーケティングのスキルを基盤にしようと思ったのです。博報堂を選んだのは、当時「マーケティング・エンジニアリング」を標榜し“個人の力”を重視していたからです。修行の場としては、その方がよいと判断したのです。
――業務改善に熱心だったそうですね。
菊川:当時は、70人ぐらいの営業局にパソコンは2台だけでしたが、そのパソコンを仕事にフルに活用しました。私は営業として石油元売会社を担当し、100種類以上の販促ツールの制作スケジュールと見積りを管理していました。ところが見積書はすべて手書きで、部数が少しでも変わるとその都度電卓を叩き、書類を作り直す必要がありました。それが大変な時間のロスでした。エクセルでそのスケジュールと見積りを管理したら、毎月かなりの労働時間が短縮されました。でも残業が減ると、給与も減るんですね(笑)。
――余裕のある時間をどのように活用しましたか?。
菊川:平日早めに帰宅すると夕食後よく1人でファミレスに行きました。そこで個人としての事業プランを練っていたのです。毎週土曜日には「未来学研究会」という勉強会を主催しました。起業意識が高い仲間を集め、研究したのは「技術革新が社会を変革したとき、どんなニーズが発生し、どんなビジネスが考えられるか」というテーマです。主に議論したのは「コンピュータの計算速度と通信速度がこのままスピードアップしたら世の中どうなるか?」ということ。当時のパソコンは文字情報だけでしたが、10年後は画像も表示できるようになるだろう。そのとき想定されるビジネスの1つが「情報過多となり個人に代わって情報を探すサービスが登場する」と当時の資料に書かれています。それが今のサーチエンジンのことですが、そういった可能性はかなりの精度で予見していましたね。
――御社はどんな人材を求めていますか?
菊川:当社はインターネット・マーケティングの分野では世界の第一線を走っているという自負があります。ですから未開拓の領域において、自ら課題を発見し具体的な解決策を提案できる「ソリューション能力」が求められています。逆に言うとそれが当社の仕事の醍醐味です。他の人がやってない仕事にチャレンジしたい人に向いていると思います。
 ビジネスパーソンは「人手」「人材」「人物」の3つに分類でいると考えています。人に指示され誰がやっても同じ作業をする人を「人手」。人に言われた以上の結果を出し、自ら課題を発見し提案できる人を「人材」。そして「人物」は、先の2つを人を統括し周囲の人を引き付ける人徳がある人をいいます。当社が必要とするのは「人材」以上の方です。
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