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転職サイトPROSEEK > 転職コラム > 仕事のモチベーション > vol.11 森下篤史氏 (株式会社テンポスバスターズ)
プロフィール

1947年静岡県生まれ。71年静岡大学教育学部卒業、同年東京電気(現東芝テック)入社。レジスターなどの販売でトップセールスの常連となる。食器洗浄機メーカーへ転職した後、83年共同精工(現キョウドウ)設立、代表取締役社長就任。新規事業立ち上げに何度も失敗した末、97年テンポスバスターズ設立、代表取締役社長就任。2002年12月ジャスダック上場を果たす。
<会社概要>
テンポスバスターズは、「フードビジネスプロデューサー」として、外食産業向け中古厨房機器の仕入・販売を中心に、店舗内装工事、店舗物件の紹介、店舗経営ノウハウのスクール開催といった、外食店舗が必要とするあらゆるサービスを提供している。広大な店舗内には、飲食店が必要とするあらゆる機器・用品が展示され、割烹着姿で来店するお客様も多い。
「これを見てびっくり!した人は正常」という、テンポスバスターズ社ホームページ。会社の強烈なメッセージが伝わってくる。

―― 会社員時代、トップセールスとして鳴らした森下社長ですが、入社当初は営業成績が上がらず悩んだ時期もあったそうですね。当時の森下社長はどんな会社員でしたか?
森下:ひと言でいうと“文部省に洗脳された青年”だったね。学校では「種をまけば芽が出る」と教えるけど、実際の社会では「種をまいても芽が出るとは限らない」というのが正しい。新人時代、芽が出ると信じ「他社製品との経費比較」や「性能比較」を必死に覚えたけど、成績は全然上がらなかった。お客はそんなもの望んでなかったんだ。そんなことも分からないバカ青年だったよ。
―― その状況を抜け出した転機は?
森下:売れない日々が続いたある日、公園のブランコに座り、カミさんが作ってくれた弁当を食ったんだ。そしたら、情けなくなっちゃってさ、涙が出てきた。やっぱり俺にこの仕事は無理だと思って、会社を辞めることにした。
でもその前に、社内に「トップセールス」という人たちがいるんなら、行きがけの駄賃に、一度そのテクニックを見たいと思ったんだよ。それで営業の名人たちの、カバン持ちをさせてもらった。
やっぱり名人の営業はすごかったよ。ある人は、相手がおとなしい人と見るや、勝手に事務所に入り込んで、事務机からハンコを持ち出し「ハンコをここに押すだけでいい」って言って契約書を書かせちゃう。別の名人は、相手が「要らない」っていうのに、製品を持ち込んで何時間も土下座。結局最後には買ってもらう―――。

ホントに驚いたよ。それまでは、相手が「要らない」「また今度」といったら、俺は素直に「はい、そうですか」って引き下がってた。ところがトップセールスは、相手を見て瞬時に、自分の営業手法で売り込める人を見極める。営業の名人とは「人間をよく知っている人」なんだよ。
―― それを学んで、すぐにトップセールスになれたのですか?
森下:それが全然、成績が上がらんかった(笑)。すごい技だけど、とても真似できない。俺の場合は、たまたま新製品が売れて、調子に乗れただけなんだ。昔から俺は調子に乗るタイプだったからね。しばらくすると、部下が2〜3人付いたんだが、奴らにカッコいいところを見せたくなる(笑)。「俺が手本を見せてやる」といって、普段なら自分も尻込みする有名百貨店に飛び込んだり、なかなか会えない社長アポを次々と入れた。部下に教えるために、本を熱心に読んで勉強したね。部下が増えるたびにエスカレートして、そのおかげで自分の力がかなり付いた。
―― トップセールスになって何か変化はありましたか?
森下:営業活動と平行しながら、会社を改革してやろうと思ったんだ。
会社に黙って「営業所」を作ったこともあるよ。静岡支店は寿司を作る機械も売ったんだが、東北地方でも売ることになった。でもその都度、電車で出張すると旅費がかかる。だから部下を北上(宮城県)のアパートに住ませ、“北上支店”と名乗らせた。

しばらくすると仙台支店のお客が「お宅の北上支店からこの商品を買った」という。だけど仙台の連中は「北上支店なんてございません」と答える。でもお客の言うことを聞いてみると本当に“北上支店”があった(笑)。本社に「勝手に支店を作るな!」と大目玉くらって、何度も「始末書」を書かされた。でも自分にしてみれば、悪いことをしている気は全くないから、なんで始末書を書くのか、意味が分からなかったよ。
―― 何度も会社の上層部とぶつかったそうですね。上司との正しい“ケンカの仕方”を教えて頂けませんか?
森下:まず、ケンカの仕方には「自分の生き方」に従うやり方と、「サラリーマン」としてのそれがあるんだ。

まず「自分の生き方」について言うと、たまたま昨日、上場企業の創業社長が10人ぐらい集ったけど、そのうち約半分が、上司とケンカして会社を辞めている。彼らは会社のために仕事をやりすぎて、上司に疎(うと)まれて辞めた。「生き方」として、とても正しいと思う。

だけど「サラリーマン」のケンカの仕方はちょっと違う。サラリーマンには「会社にとって正しいことをするな。上司がやってほしいことをやれ!」という大原則がある。逆に聞くけど、もし、あなたが某乳業メーカーの社員だとして、上司である常務から「牛乳パックの日付を書き換えろ!」と命令されたらやるかい?
―― やはり、拒否すると思います・・・。
森下:それじゃ即クビだよ(笑)。そういうときはこうする。「常務、分かりました。でも3カ月だけ時間をください。自分が死に物狂いで業務改善して、日付を変えなくて済むよう問題を解決させます」って宣言するんだ。すると3カ月後、もし問題を解決し切れなくても、

「すいません、常務。目標を達成できませんでした。やはり日付は変えましょう。しかし、私は部下にも洗いざらい事情を話して、パートの連中も含め、全員一丸となって死ぬ気でトライしました。ですから日付を変えた場合、彼らが暴れたり、ネットの掲示板に書き込むかもしれませんよ。部長はそれでもいいんですか?」と言える。

言葉の重みが違うでしょう。ただ拒否してもダメだよ。ケンカするにしても“生きてる男が勝負をかける”気概がほしい。
―― 「勝負をかける」と言えば、御社の役職者は公募制で、役職者の一定割合が自動的に降格するといった、社内を常にバトル状態にするユニークな制度があります。御社の人事制度の「基本コンセプト」を教えてください。

森下:ウチの人事制度には「自分の人生は自分で決めろ」という考え方がある。自分が何になりたいのかハッキリしろってことです。役職者になりたければ自分で立候補させる。会議も対象者が30人いても、20人ぐらいしか会議に呼ばない。呼ばれなかった10人の中で、どうしても出席したい人は、自分で「出席願」を書いて、会議に出させてもらう。

もう1つ、考えの根底にあるのは、「人間には自分自身、気づいていない能力が多い」ということ。普通の人間の場合、ある程度やると「もう無理」と諦めてしまう。だけどそれは、もったいない話。ヘトヘトになるまでやらないと、才能なんて開花しない。例えばウチの研修では、大声を出させる訓練がある。本人は一番大きい声だと思っていても、限界までやらせるうちにもっと大きな声が出る。限界以上の能力を引き出すには、極限の状況を経験しなきゃダメなんだ。

―― 最後にプロシークの読者にメッセージをお願いします。
森下:もし転職したいって思ったら、まず転職する時期を6カ月なら6カ月と決めること。その間、現在の職場で「売り上げを3倍にする」ぐらいの大きな目標を立て、ガムシャラに頑張ってほしい。その極限を経験すると新たな道が開けるし、それだけやってダメなら、その仕事に適性がなかったと納得できる。そこまでやれば、転職してもいいと思う。
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